1960年代から1990年代にかけて活躍したインテリアデザイナー、倉俣史朗の回顧展「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」が京都国立近代美術館で開催された。世田谷美術館、富山県美術館を巡った展覧会の終着点である。本展では、倉俣の言葉を辿りながら、その作品を振り返る。
倉俣史朗は、実用という意味での機能性よりも、家具という存在がもつ機能に着目した。それがよく表れているのが「引き出し」を取り入れた作品である。引き出しの中には何が入っているのか。そこに寄せられる期待に、倉俣は家具と人間との間に生じるコミュニケーションをみる。
「ひき出しに興味があるのは、物をさがしてないような気がするときの記憶がずいぶんあったためですね。非常にひょっとしたら、それ以外のものを常にひき出しからさがそうとしているんじゃないかっていうような感じが、ひき出しに魅せられた要素としてあるような気がしますね。
それに、家具の中でひき出しというのはそうとう心理的なものも含めて、人間といちばんコミュニケーションが強い家具なんじゃないかという気がします。対話がある家具、というか、ひき出しというのはそういう要素を多分にもっている。それと併せて、秘密とかそういう部分もあり、イスにない要素がたくさんある。こういったことがひき出しをつくってきている要因のような気がしますね」
「異色のデザイナー」、『室内』第205号、1972年1月
また、倉俣の作品には、しばしば彼の「無重力への願望」が表現される。
「僕には引力の支配から逃れ、重力から解放されて、自由に浮遊したいという強い願望があります。
(中略)
この椅子で試みたことは、従来の椅子の形態はそのままにして、ボリュームを消し去り、物理的にも、視覚的にも軽く、風が遊び抜ける。在ってないようなもの・・・・・・そんなことを考えながらデザインしました。
いずれにしましても、意識・無意識のうちに無重力願望が、僕がものを造る時の下敷きになっているのかもしれません。そういう意味でこれは、『無重力願望の椅子』といえるでしょう」
「無重力願望の椅子」、『家庭画報』第30巻第3号、1987年3月
素材選びや量感を排した設計に、彼の「無重力への願望」は見て取れる。しかしそれだけでなく、彼は、その願望を殊に「椅子」というモチーフに託しているように私には感じられた。座るという行為によって我々がその重力を預けようとする椅子だからこそ、重力に反抗するようなデザインが一層意味を持ったのではないだろうか。
《硝子の椅子》
倉俣にとって家具をデザインすることは、自身の記憶や内面世界を現像するひとつの手段だったのだろう。では、現像に家具という媒体を用いることにはどのような意味があったのか。家具は、ただそれが家具であるという事実によって、人間の生活の地平に像を結ぶ。引き出しを見れば思わずその中身を想像してしまうし、椅子を見ればそこに座ることを思い浮かべてしまう。そのつながりを糸口にして、家具はそこに表されたイメージの中に我々を引き込むことができるのではないだろうか。これこそが家具デザインの妙だと私は考える。
《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》
会場入口では、倉俣の作品、《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》に実際に座ることができた。あたりが透ける金属の網目に、思わず座ることを躊躇してしまうが、いざ体重を預けてみると、紛れもなく椅子の座り心地だった。倉俣の言う「ただ結果として家具である」とはこういうことかと納得した。